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今が旬?水戸天狗党 和田峠 水戸浪士の墓

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~群馬県伊勢崎市を中心に営業する、緊急輸送(軽冷凍OK)とお引越・お片付け、健康も考える 小久保運送有限会社です~

和田峠。そこは北関東の運送屋さんが、名古屋方面へ行く際によく通る峠です。同じ長野県内の三才山峠は無料になりましたが、和田峠(和田トンネル)はまだ有料です。

 

以前は和田トンネルから諏訪側へ抜け下っていくと、名古屋方面へ行くには、岡谷インターまで下諏訪町や岡谷市の街中を通って行かなくてはいけませんでした。下社(秋宮)の前を鋭角に曲がって、大型が交互通行してたりして、今思えば結構な難所だったように思います。最近は岡谷インターへ直接抜けていけるう回路が出来ていて、かなり時間の短縮になっています。

 

そんな群馬のトラックドライバーにはおなじみの和田峠。その峠道には以前から気になっていた、「水戸浪士の墓」という標識があります。(私のナビには出てたりします)

 

先週、そこ(水戸浪士の墓)へ行ってまいりました。場所は和田トンネルを旧和田村(現長和町)より諏訪湖へ向かって下ってくると、「水戸浪士の墓」という標識がありますので、そこを曲がれば割とすぐです。狭い道かな?と思いましたが、広くはありませんが、すぐ隣に会社もあって、それほど人気が無いがない場所ではありませんでした。いけばすぐにわかりますよ。

今まさに大河ドラマで放映中の「青天を衝け」に出てくる、水戸天狗党。ドラマを見ているうちに、彼らのことに少し興味が出て参りました。なぜここに水戸藩の侍たちの墓があるのか。興味がある方は是非お調べ下さい。

群馬でもここであったのと同じくらい、いやもっと悲惨な下仁田戦争という水戸天狗党との戦がありました。子供の頃の歴史の教科書にはちゃんと出てこなかったような感じです。今はどうなんでしょうね?どちらが正義でどちらが悪とか、一口では言えない複雑なお互いの都合が、その時代に生きた人々が、「お互いの正義」のために争った戦い。そんな感じなのかな?うまく言えません。

天狗党の西進時、群馬では高崎藩の藩士が多数死んだということ、それが下仁田戦争と呼ばれていることを初めて知った時は少なからずショックを覚えました。(興味ある方は是非下仁田歴史館へ行ってください。こちら参照)和田峠の戦いでも幕府側の藩士がそれなりに亡くなっています。しかしながら最終的に天狗党は幕府側に捕縛され、首謀者や主だった者は斬首、晒し首、その他も遠島、流罪等などに処されてます。同時に天狗党の家族は、女子供も処刑されたと(ネット情報には)ありました。そしてそれを指揮した水戸藩の中心人物も、最終的には逆さ磔に(ネット情報)なったというのも、何とも言えない我が国の悲しい歴史の様な気がしてなりません。

青天を衝けの今後の展開を楽しみにしながら、こういったあまり世に出ていない、日本の歴史についても少しづつ調べていきたいと思います。

墓碑の入り口にはこんな芳名帳がありました。